石巻市での炊出し①

昨日に引き続き、事務所では通常業務の傍ら、炊出しの片付けに追われました。

このブログや、会社のメールにたくさんの方から書き込みをいただき、驚いております。多くの方々が今回の活動に関し、賛同、応援をしてくださっていることがわかり、嬉しく思います。書き込んでくださった皆様、ありがとうございます。


本日は、炊出しに行くまでの過程などをお届けさせていただきます。


 地震発生後、すでに決まっていた仕事をこなしながら「何ができるか?」「何をすべきか?」とニュースを見ながら杉さんはずっと考えていらっしゃいました。


 そして3月24日、炊出しに行くことを決断され、すぐに宮城県知事に連絡をしたのです。「できるだけ支援の手が届いていないところへ行かせてください。」
それから、カレー、豚汁、サラダなどの材料、物資を集め始めました。


 宮城県庁より一番初めにご紹介いただいた箇所は「宮城県石巻市雄勝町大須小学校」でした。次に上がってきた候補は「旧水浜保育所」です。人数が大須小学校の方が多かったので、4月2日のお昼に大須小学校に行くことに決め、準備を始めました。

 
 すべての準備に約10日間かけ、4月1日(金)早朝、6時に東京を出発!

 
  書き込みやメールの質問に多いのが「どこを訪れたのか?」ということでした。今回は旧水浜保育所大須小学校、万石浦中学校、河北ビックバンを拠点に森林公園、唐桑佐藤トラック、岡崎治療院、荒老人憩いの家、船越地区、名振コミュニーティーセンター、女川総合体育館、飯野川中学校、飯野川第一小学校など、小さな避難所を訪れました。



 雄勝地区の辺りはそこに行くまでの道が瓦礫の海状態なので、
支援の手が届きにくいというのがよくわかりました。もちろん電気、水道、ガスなどライフラインはストップしています。携帯電話も繋がらないので衛星携帯電話を持っての現地入り・・・。


 あるおばあさんが「地震の日のザ〜ッという海の音が忘れられないの」と話してくださったことが忘れられません。