福島県訪問

2011年4月19日(火)皆様もすでにご存じのとおり、杉さんは福島県に行ってきました。今回は、宮城県を訪れた規模からして、車3台にスタッフは8人と小さくはなりましたが、川俣町に「思い出の神戸ラーメン」1000食、煮豚60本、ネギ200本を、飯舘村に同じくラーメン1000食、煮豚60本、ネギ200本、そして南相馬市に「思い出の神戸ラーメン」を3000食、煮豚180本、ネギ600本を提供してきました。また、福島県の佐藤知事を通じて災害対策本部に消火器具(投下タイプ)を10,000本贈呈してきました。


 前回、宮城県への炊き出しから帰ったあと、杉さんは鏡を見ながら「宮城県だけでいいのか」と自問自答したといいます。最近になって原発で命をはって作業をされている方に焦点を当てた報道がされるようになりましたが、少し前まではまだされておらず、杉さんが「実際に現場で作業をされている方をねぎらいたい、あたたかいものを食べていただきたい」と思ったところから福島県行きの準備が始まりました。すぐに杉さんは原発の敷地内で炊き出しを行う計画を立てましたがあらゆる機関から「敷地内は決死隊が入っているだけで民間人は一切立ち入ることができない」と立ち入り許可がおりなかったのです。


 それでも食い下がり交渉し、防護服まで借りられないか尽力しましたがそれもかなわず、原子力発電所はおろか、そこから20km圏内の立ち入りも認められず、せめて非難されている方、被害にあわれている方の実際の声を聞きにいこうと、福島県入りを決定。


 早朝6時半に都内を出発し、日帰りで行ってきました。


「本当にこの土壌がだめになってしまうのか・・・」


車内から見える景色には畑が広がります。


宮城県石巻市雄勝町の被害は地震の形跡さえも津波に飲み込まれて
しまうくらい、家々が跡形もなく崩れている状態でした。けれども
今回は見た目には変わらない、普通の景色です。持参していたお弁当を食べるため、「お昼休憩にどこかで車を停めよう」としたところ、「この辺りは放射能がきついので、もう少し進んだところで停めてください」との指示があるなど、目に見えない恐怖に、変な怖さを感じました。


杉さんは「東京電力の会長、社長など経営に関わる方々は、遠く離れやところで指示をするだけでなく、作業員と一緒に、せめて1週間や10日は現場で仕事をしなければいけないと思う。本来、経営者とはそういうものだ」とおっしゃいます。


「周辺の住民は一体どんな罪を犯したというのだろう。原子力発電所を経営する人、専門家の想定の甘さ、政治家の思惑による人的災害な一面があると思う」


 避難所の方、地域住民の方々とお話をされた後、20km地点まで行きました。そこはバリケードがはられ、機動隊が中に入るものがいないように見張っていました。そこは、畑や田んぼが広がる道路の交差する場所。道が突然、通行止めになっているのです。


 機動隊の方と少しやりとりをしたあと、福島県災害対策本部へ。そこでは災害対策のため、職員が休む時間もなく、ずっと働いていらっしゃいました。最近になって、やっと交代で数時間休みがとれるようになったそうですが、それまでは24時間体制で働いていらっしゃるという状態だったそうです。


 ニュース、報道だけではわからない生の声、県民の皆さんの想いを深く心に刻み、福島県より戻ってきました。